2008年11月28日

冬支度開始!■浅間山や榛名山は雪化粧

     イトヤン(絲山秋子さん)の住む群馬県の浅間山(2568m)や榛名山(1449m)はもう雪化粧したらしい。俺の家から望む京都西山の天王山(270m)や小塩山(642m)はまだまだだろう。

女性は冬に弱いのか、エアコンの無い我が家では家内が時折石油ストーブまでつける。最弱でつけているオコタに座って、テレビを観たりパソコンをいじったりしているのだが。俺はオコタに入っていれば電源は入れないでいい。それでも、微妙にあったかい。オコタは家内がつける→俺が消す→家内がつける→俺が消すを一日繰り返している。

10数年前に、コックを自主リストラし半年間は時給の高いアルバイトをして就いた仕事は軽トラの運送業だった。
会社ではなく「赤帽」という個人での運送業をしようとして弟子入りしたのである。「赤帽」は隙間産業で、北海道の日本通運にいた人が二十数年前に「スキマ産業としての運送業」としてはじめたのが発祥とか聞いていた。

赤帽は基本的に各車が個人事業主で、仕事を多く取れる人は代理で別の「赤帽」に依頼したり複数の車を持ち代理の運転手を雇う形態で運送事業をしている。代理で別の「赤帽」に依頼した「仕事を取った人」は代理で運んだ赤帽から一定のマージンを取るシステムで。
一度「赤帽」のA運送に仕事を依頼した顧客(企業)からは別の「赤帽」は直接仕事を取れないのがルールのひとつである。
俺の場合は、赤帽の某運送店に運んだ運賃の半額をもらうという請負で赤帽の勉強をしようとしてはじめた。

今は少し変わったのか知れないが、営業区域が決まっていて。貨物の発地か着地が営業区域でないと仕事できないのがもうひとつのルールでタクシーも同じであった。
赤帽で使用する車はスバル・サンバーで故障は少なく素晴らしい軽トラックであった。長距離もあり普通の軽トラで考えられる走行距離ではなく、だいたい一ヶ月で10000kmほど走行した。大阪府北部が営業区域だったのだが、東京への仕事は月に2〜3回あった。北は宮城県の仙台、南は北九州まで走った。

和歌山県北部から宮城県仙台が最長距離で片道1100kmほどあり京都府南部の自宅で搬入時刻のため時間調整をし京都南から宮城県仙台まで12時間半で到着した。ルートは指定のない限り運転手が最短距離を考え決めるので、まだ素人だったので名神→東名→東北自動車道で仙台に向った。名神→北陸道から日本海側から向ったほうが100km程度短いのはあとで知った。今なら東北地方の高速も整備されたのでもっと早く短距離かも知れない。

貨物は基本的に片荷で、到着し貨物を渡すと帰りは空車で地元大阪に帰った。3年と少し走ったが事故はなかった。違反はスピード超過が年に一回程度だった。休みと営業時間はなく、24時間対応で休みは知らせるといつでも休めた。今、飲酒運転が大問題になっているが、この仕事をしているときは休みがわかっている前日以外はアルコールは一切飲まなかった。高速で事故でもすると、自分の車が軽トラなので結果は怖いことになるので安全運転には一番気をつけた。2時間走り10分休憩が長距離走行の基本である。危ないと気づいたときは遅いのである。

面白い荷物は、大阪府南部から四国の中央まで小さな2cmのネジが5本だけというのがあった。封筒に入れてスピードメーターの前に置いて向った。それでも運賃は3万円近かったように思う。

雪で名神が通行止めだから。と、言う仕事もあった。大阪府北部から滋賀県の彦根までR1→R8で朝9時に荷物を引き取り到着したのが翌日の早朝5時であった。もちろん雪は高速だけに降るのではないから、荷物の引き取りに通常なら40分程度で到着するところが2時間かかり。そこから20時間なので家を出る時は、食事など心配してなかったのでいつものようにコンビニの弁当を予定して出たのだが。コンビニの商品も雪で止まり入荷していないのでコンビニは空っぽ。朝7時から翌日の朝5時まで22時間食事なしであった。その間、口にしたのは自動販売機のチョコレート1箱と缶コーヒーだけであった。タバコはあるので、タバコを吸って空腹をごまかした。

自分の車が冬タイヤ(スタッドレス)を履いてチェーンも用意して走行可能でも、お馬鹿は必ずいるのでたまにいるお馬鹿でR8は大混乱だった。もちろん名神が走れないのだから通行量は異常だった。
搬入先の会社には電話で連絡したが「ああ、いつでもいいですよ。無理しないで安全運転で来てください」とのことだった。
10tのトラックの多くは、道のど真ん中で休憩で居直ってしまい。ハンドルに足を上げて眠っている様子だった。

そのスキマを通りかかった自家用車等と数台でチームを組みトラックを一台一台越して進んだ。一人が車から出て雪の中を歩いてスペースを確認し手で合図して進み、誘導を交代しその人も進む。を、繰り返して進んだ。側溝にタイヤを落としている車も数台あった。


     京都南部は雪が積もるのは数年に一度のことで、冬でも冬タイヤ(スタッドレス)を履いている車は少ない。タクシーも3年ほどやったのだが朝7時から夕方7時に交代の人に車を掃除して渡せばいい。という、シフトで走っていた。タクシーは冬タイヤ(スタッドレス)は自腹でしか履かないし。乗り心地が最悪になるので冬タイヤ(スタッドレス)を履いているタクシーは京都では見たことが無い。
京都西部のR9の近くの営業所だったのだが。地元には坂が多かった。

ある冬の朝、一面雪で白かった。マイカーで営業所に着いたのだがマイカーは夏タイヤで「かなり怪しいな」という状態だった。雪は振り続けていた。一応、7時に営業に出たのだが9時ごろに赤帽で雪で困った経験があったので営業所に帰り「雪で危険なので今日は営業を中止します」と言って帰り支度をしていた。
雪は20cm程度積もっていた。

マイカーにはチェーンをつけなければならないので。とりあえず営業所の休憩室で缶コーヒーをすすりながらタバコを吸っていると。数人が同じように営業を中止して帰ってきはじめた。
すると
まだ営業に出ているタクシーからのSOSが入り始めた。
「国道(R9)で、動けない」
「側溝にタイヤを落とした」
「電信柱に激突した」
「坂で停まっているのだが、車がズルズルと動く」
いい年したオッサンなのだから、自力で帰って来い。
ではあるが、数人で冬タイヤのマイカーを出し営業所の人も加わり数台で各車に3人程度乗りレスキュー活動を開始した。冬対策で車には、使い古しの毛布とか古くなったジャンパーとかを乗せている人はそれらを用意した。

「国道で動けない」のだから車では行けないので、徒歩で向った。残りも車で行ける場所まで移動し、あとは主に徒歩。
ダンボール・毛布が滑り止めに大活躍した。側溝にタイヤを落とした車などは4人もいれば持ち上げられる。タクシーは余計な装備がないので軽い。危険な状態の車は、知らない車でもレスキューした。

街中から坂道を3kmほど登って行く住宅地があるのだが。その途中には高そうな4駆が、前半分を見事に破壊して放置してあった。3kmの間に3〜4台奇妙な停まり方で車が放置してあった。その運転手だろうトボトボ歩いている人も見かけた。

雪の多い地方の人にはお笑いであるが、関西では雪が降ると豪華な4駆を破壊してしまう人もいるのが現実です。
posted by akibonn at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 活字中毒者の妄想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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